ユンデの哀しみ/大谷英之・淳子 文芸社
大五郎は天使のはねをつけた/大谷淳子 旺文社
ゆふいんの風/大谷英之・写真 奇形猿(大五郎)がくれた人生/大谷淳子、聖子、一世、真穂・文 山と渓谷社

カバーの写真に息をのんでしまいます。
彼女の瞳を閉じた表情に胸を衝かれ、視線を下に這わすと、彼女の懐にあるのは虚空の眼窩をさらして転がる小さなシャレコウベが・・・・

ユンデは、張ってきた乳房を自分で吸って、子に飲ませようと口移しで与えるが、
「子ザルの口から、温かい母乳は悲しくもこぼれ落ちるだけだった。」

そのシーンが、大谷英之さんの連続写真で静かに表現され、淳子さんの文章が、種を超えて切々と訴えます。

そして両手・両足を失って生まれた奇形ザルの大五郎が、家族の一員となって舞い降りてきて・・・

悲しい人間社会の事件が続くからなのでしょうか、無償の行為の姿には、なにか神々しさを感じてしまいます。
しかし、「神」には人間世界の小さな情や牧歌など通用しません。
人間の目から見ると「非情」で「無常」の世界でもあります。

そんな「無常」な世界であっても、ユンデの哀しみや大五郎の存在は、確かに大谷さん家族に伝わり、我々にも「無情」でないことを教えてくれるのです。
(97年3月感想文)

「ピンク・トライアングルの男たちーナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記録」/ハインツ・ヘーガー パンドラ

強制収容所に収監されたのは、ユダヤ人だけではなかったのです。

囚人達は、色分けした逆三角形の識別印で見分けられるようになっていて、「黄」ユダヤ人「黒」非社会分子「赤」政治囚「紫」聖書研究者(エホバの証人)「緑」刑事囚「青」亡命者(ドイツ人および占領地でつかまったドイツ亡命者)「ピンク」同性愛者「茶」ジプシーでした。

その中でもユダヤ人・同性愛者・ジプシーは目のかたきにされ、最も過酷な拷問や仕打ちを受けたそうです。

これは、ナチスだから日本だからという問題ではありません。
ある緊張状態に陥った国家・民族・人間が最初に行うことは、他者の峻別です。
これは、個人や文化の問題などではなく、人間精神の基本構造だと思っています。

少数者・障害者を差別してはいけないという倫理・道徳は、人間の「認識の構造」を変えることは出来ません。
なぜなら、認識という思考が、倫理・道徳を生むからです。
また、認識の初源は、「あれ」と「これ」の差異を見つけることから始まります。
「あれ」と「これ」を区別する「要素」を見つけて、はじめて「あれ」と「これ」が生まれます。

長い/短い、多い/少ない、動く/動かない、ある/ない、異性愛者/同性愛者・・・・「あれ」/「これ」・・・・「私」/「あなた」・・・・

人間がこの認識形式をとっている限り、区別、峻別、差異化は無くなりません。

では、どうすればよいのか、考えなければならない。
考えなければ。

この本で、エホバの証人の人達も収容所に送られていたことを初めて知りました。
調べてみると、日本でも戦争中、その反戦思想を理由に弾圧を受けているようです。これは、ちょっと気になる・・・・
(2006年2月)