ブッタとシッタカブッタ/小泉吉宏 ナディアファクトリ

そのまんまでいいよブッタとシッタカブッタ2/小泉吉宏 ナディアファクトリ

なあんでもないよブッタとシッタカブッタ3/小泉吉宏 ナディアファクトリ

私は、好んで「いしいひさいち」の四コママンガを読むのですが、いつもスゴイなと感服しています。
数百ページもある書物の核心を、たった四コマで語って、しかもハズしていません。
経済の本でも、現代思想でも、日常生活風刺にしてもです。
恐るべしというか、ちょっと一種の天才ではないかとさえ思います。

少し前からマンガによる解説書や啓蒙書が、書店で多く見かけるようになりました。
その現象については、色々言われていますが、基本的には書物の雑誌化というか、情報のスピード化による読者の簡略理解の欲求があるのでしょう。
そしてその事が生んでゆく、細部軽視や言語単純化の時期を経て、今度はその揺り戻しによる個々人の閉塞した細部住人化となってゆくように思っています。

思想や言語が、この全体と細部の構図に有効な問題提議ができず、お手上げ状態になって長い時間が過ぎました。
その間隙を縫って、全て全体化する経済と、全て細分化した情報集積のネットが、世界を覆っています。
国家も文化も人間も、しばらくはこの両者の洗礼を強制的に受け、それぞれの概念の変容を迫られる時代になっていくのだと思います。

そんな中、サブカルチャーと言われるような周辺領域から、奇跡的にいや必然的にあだ花のような作品が生まれてくる事があります。
全・単、言語・無言語、有・無、個・非個・・・・の2元世界を超えて。

この本の副題は「心の運転マニュアル本」となっていて、内容は「恋に悩むシッタカブッタ」「迷えるブタたち」「不安な心とは?」「悩みの根の根にあるもの」などとなっています。
読み易く、見やすいブタが主人公のマンガです。

人は本当に悩んでいる時には、本など読まないものですが、一度この本を読んでいて、手元にあれば、そういえばと思い出して手に取るかもしれません。
そして、少しは心が軽くなるはずです。
これからの時代には、座右の一冊は、こういう本が良いと思います。
(97年4月感想文)

在日韓国人青年の生活と意識/福岡安則金明秀 東京大学出版社

こういう本を待っていました。
こんな本が多くあって、はじめて在日や差別の問題を考えられるのだと思ってました。

これは歴史上、初めて実施された全国規模でのランダム・サンプル調査で、200項目にわたる質問と詳細な統計資料です。

蔓延する直感と憶測の様々な論は、意味が無いだけならまだしも、むしろ私達に複雑な差別意識を植え込み、相互に関係の軋轢を生んでいたのです。

私達は、この統計から見えてくる彼らの「気持ち」や「考え」を知り得る機会を持ちました。
そして持ちえたことによって、もう「知らなかった」で誤魔化すことは出来ないのです。

はっきり言っておきます。
あなたがイメージしていることは、間違っています。
巻末に1つ1つの調査データが載っていて、そこに必ず自分の想定と食い違い、驚く箇所があります。
そこから始めてみましょう。
これはどういうことなのか、なぜ自分の想定と違ってしまったのか?そして、何故自分はそんな想定をしてしまったのか?を。

これは在日韓国人・朝鮮人の人達の、完全なサンプルになりませんでした。
そう成り得なかったことに、在日問題の困難の一つがあります。
この本が出版されたことで、政治的な壁に穴が開けられんことを切に願うものです。

そして、この本の定価が5974円と高額なのですが、この様な書籍こそ公的助成をしてでも低額におさえて、あらゆる所(書店、図書館、集会所・・・)で手に取り、考え始める機会にすべきだと思います。
(97年4月感想文)

この単語に興味あり

「クローン羊」

クローン人間が出来る、作らせないと大騒ぎになった事件がありました。
私が気になったのは2点あります。

1つは、体細胞から誕生したということ。
これは完全に分化が終った細胞が、まだ細胞初期に持っているどの組織にでもなりえる全能性を持っていたということです。
またこれが可能になったという事は、初期化した核の働きが周りの環境で決定されているということだと思われます。
遺伝子に書かれている事は、外部からの情報をフィードバックしてダイナミックに自身を変容・創造するプログラムだったのです。
たった1個の初源の細胞の第一歩だけでなく、機能を受け持つほど分化、固定化した細胞すら、その第一歩を決して失わず、新しい歩みを始めることができるのです。
そのスタイルこそが、「生命」と言い換えてもいいのかもしれません。

技術的には、クローン人間は可能である事は間違いでしょう。
そしてこの事実の本当の意味は、そうやって生まれた人間を「人間」とみなすのか?ということである。
「人間」の生物的概念を変更する、新しい「人間」概念を提出されたのである。
クローン人間は、「人間」か?
「人間」とするならば、ホモサピエンスは「両性生物」と「単為発生生物」の両方の範疇を持つ生物ということになります。

「両性人間」という生物は、「単為発生人間」を「人間」として受け入れられるのか?
「彼らは、何者なのか?」と問う時、「我々は、何者なのか?」と等価(!)で問えるかどうか試されているのである。


「低体温療法」

柳田邦男の『犠牲—サクリファイス』は、大変感銘を受けた本で、その本に数行この療法の紹介がありました。
当時気になって、医療関係者などに聞いて回ったのですが、昔の療法だとか、術後一時的に使うとかの解答で、なにをいまさらという感じでした。
しかしこの前NHKで放送され、大きな反響を呼んだ後は、脳死問題などにからめ、いたる所で聞くようになりました。
とにかく、画期的な療法だと思います。
現在「文藝春秋」で連載されていていて、終ったら読書感想文を書こうと思っています。
(2004年8月)