にんげん住所録/高峰秀子 文藝春秋

私は、女優さんが好きです。
それにもまして、女優さんの文章を読むのが好きです。

彼女らの言葉は、荒縄で縛り上げられた白洲上の私に、慈悲深い名決裁を言い渡されたようであり、私はただただ、地面に額を擦りつけてありがたい涙を流しているだけなのです。
神託は、野太いダミ声では聞きたくありません。

高峰さんの文体は、体言止の危険性をぎりぎりのところで回避し、その避け方に矜持が見られて、とても敵わない気がするのです。
今までも彼女の本は何冊か読んでいましたが、今回の養母の話には、特殊な芸能界とはいえ人間の凄まじいまでの「業」を教えられた気がします。
沢村貞子さんの著書もそうなのですが、自分を表現する文体をきりりと結べる手腕は、女優という職業と決して無縁ではないのかも知れません。

優れた表現者は、言葉をおろそかにしません。

謎解き伴大納言絵巻/黒田日出男 小学館
日本の絵巻2/伴大納言絵詞 中央公論社
謎解き洛中洛外図/黒田日出男 岩波新書
「絵巻」子どもの登場 中世社会の子ども像/黒田日出男 河出書房新社
近世風俗画2月なみのみやこ/狩野博幸編著 淡交社

初期絵巻の傑作と称えられている『伴大納言絵巻』には、一つの大きな謎があります。

慌てふためく検非違使から始まり、応天門大火災に群がる231人の群集図は、絵巻を繰る手ももどかしく一気にその物語世界に読み手をひきづり込んでしまいます。
そして、その次の絵は一転して、霞に浮かぶ後ろ束帯姿の男がただ一人描かれているのです。
これが絵巻史上最大の謎の男です。

そもそも絵巻とは、「絵」と「詞書(ことばがき)」を交互に配列して表現したものなのですが、この絵巻(上中下巻)の上巻にはこの詞書の部分が一行も書かれていないのです。
中巻と下巻には、この詞書があるのでその絵と内容が比較できるのですが、謎の男登場部の上巻には肝心の詞書がないので類推しようにも類推できません。

驚くほど完成度の高い描写の中に隠された謎の数々を、著者は一つ一つ検証してゆきます。
次の場面で出てくる、この後姿の男によく似た男は、同一人物なのか?
なぜその男は、天皇の協議を縁側で一人聞いているのか?
後姿の男は、なぜ浅沓(あさぐつ)を履いていないで、足袋(たび)を履いているのか?
後姿の男が描かれている絵と、次の場面の間にもう1枚の絵か詞書があったという仮説と線描写の検証とは?
異時同図法と、その方法を使って描かれている内容とは?
炎上する図の中で、火を消す人が一人もいないのはなぜ?
描かれている女性たちは、なぜ「立て膝」をして座っているのか?その当時は「正座」文化でなかった?
歎き悲しんでいると思われていた女たちの何人かの口元が笑みになっているのは?
右足は草履を履き、左足が裸足の男の妙な立体図はなぜ?
「霞」「門」「樹木」の絵画コードの意味とは?
山ほどの謎・・・・

その謎の先に見えるこの男の正体とは・・・・・

わざわざ拡大鏡を買って、数日間絵巻と格闘した私の結論は・・・・

著者との推理合戦の勢いあまって、『謎解き洛中洛外図』『「絵巻」子どもの登場』にまで手を伸ばしてしまいました。
中近世史研究者や美術史家や鑑賞者が必死になって解読している意味を、その当時の人々は当然のように解釈し、政治的なメッセージを読み取っていたのですね。
目をみはるような「美」の衣をまとった絵巻世界で・・・・

「さよなら」っていわせて(SAYINGGOODBYE)/ジム&ジョアン・ボウルディン 大修館書店

全米ホスピス協会賞を受賞したこの本が、ようやく日本で翻訳されました。
すでに世界中で翻訳され読まれていたこの本が、やっと届きました。

「死」の影が訪れるのは、当然ながら大人だけではなく、子どもが「死」の当事者になることはもちろん、近しい人を「死」で失った時に襲う形容し難い悲しみも、子ども達を例外としてはくれません。
「死」の概念が不明瞭であっても何らかの形で持っている大人は、全ての感情に取って代わった深い悲しみの意味を、子どもより理解し易いと考えることも出来ます。

この本は、子どもと大人で作りあげる絵本です。
ぬり絵や手紙、感想、思い出などを書き込みながら、悲しい時は、悲しんでいいんだよ、その気持ちを誰かに話してもいいんだよ、「死」はとても自然(あたりまえ)なことで、大事なことは、その「さようなら」を言った人との思い出を抱きながら、ありのままの君が生きてゆくことなんだとささやいてくれます。

この本の「優しい導き」は、大人の分別がありそうでちょっと疑問ですが、子どもの内世界で死がどのように語られるのか、私には分かりません。
ただ彼ら彼女らの内世界が、その「死」も含めて豊かであってほしいと思うし、暗い影をおとさないで、その子が歩いていって欲しいと切に願っています。

昨晩、図書館から借りてきたこの本を、コウタロウとモモコに読んであげました。
モモコは、ぬり絵の部分に色を塗ったり、書き込みたくて仕方がなさそうです。
コウタロウは、最近亡くなった知人のおばあちゃんのことを色々話し始めました。
(本人は、1・2度しか会っていないおばあちゃんです)
もうすでに私の中では故人の死は遠のき、日々生活の重みの方が大きくなっていたのに・・・

眼に悲しみの色を浮かべたコウタロウは、「この本は、みんなの本だから書いてはいけなんだよ。」とモモコに言っていました。

そう、みんなの為の本です。
(2002年9月)