これはパイプではない/ミシェル・フーコー 哲学書房

「世界は言葉である。」とは、どういうことなんでしょう。
そう言われると、気持ち半分‘成程なあ’と思う反面、あまりかっこ良すぎて、‘本当かよ〜’とも思ってしまいます。

一般的に言われるように、言葉とはまず命名機能の材料なんです。あるモノや事柄、又は形なきイメージにも名前を付けてゆきます。
犬を見て「犬」と考えるのは「犬」という言葉を知っているからです。それは、“犬”という動物(色々ある動物を分類した上で)に、「犬」という名前をつけてあげて、僕らみんなで「犬」で統一認識している、ということなんです。この作業は、言葉の最も重要な性格です。
これを押さえた上で、今度は反対から見てみましょう。

実体は在るが、名前も無く、私たちのなかで統一認識されていないものは、どうでしょうか。それは、「無い」なんです。「ヘッ」とお思いでしょう。思ってください。そこでイメージを少し伸ばしてみて下さい。何でもいいです。何かがあると知った時、その「何か」(この時点で既に「何か」と命名しているのですが)に名前を付けようとするんです。それが人間の(言葉の)性格です。
ではその名前を付けようと思う前は、どうなっているでしょう。何かを{知ったり}{見たり}{認識したり}した瞬間、その命名は起きてくるのですから、その前は{知らなく}{見えてなく}{認識していない}のです。
それはつまり、「無い」んです。言葉として命名されていないモノは、この世界に「無い」ことと同じなんです。

海で新種の魚が発見されて大騒ぎとなり、世界中に発信されました。すると世界中のあっちこっちの海で、その新種が発見され始めたんです。よく調べてみると、その魚はどこにでも見られるありふれた魚でした。今まであったのに、命名されていなかっただけなんです。そんな事例が、世界史にはいくつもあります。

僕らの認識は、言葉に支配されているというよりも「言葉」そのものなんです。日本語の中に「無い」言葉は、僕らは認識出来ないし、この世に存在していないのです。

くどいようですが、もう一つ例を挙げてみましょう。
「虹」を僕らは、7色だと思っています。しかし、ある言語では「虹」は十数色だと言い、ある言語では3色だと言います。同一の現象を見ているのですから、3色の虹と7色の虹があるわけではありません。しかし「3色の虹」の言語圏では、虹を3色で「認識している」のです。それ以外の色は、見えない(!!)のです。十数色で虹を見ている人達からみると、7色でしか見えていない日本語なんて、「え〜!!!」なんです。「ほら!その色とあの色の間にもう一色あるじゃない。××色だよ。」と言われても、それは「赤」と表現するか、「紫」と表現するかしかないのです。その間の「××色」を日本語は持っていないのだから。

そんなにまでも絶対的な影響力を持つ「言葉」の世界は、命名の性格だけではありません。文法やら時間性やら、その他様々な性格を持っています。それがつまり、世界の複雑さなんです。

ルネ・マグリットの作品があります。
「パイプ」が描かれた額縁の絵画があって、パイプの下に「これはパイプではない。」と書かれてあります。さらにその額縁が載っている画架の上方に、絵画のパイプとそっくりな、大きなパイプが描かれているのです。
ここからフーコーは、言葉と表現、相似の問題へと切り込み、僕らの世界が持つ「文体」を解体させます。その手際があまりにも鮮やかすぎるので、ほとんど恐怖に近い不安を覚えてしまうんです。不安を感じるのは僕ではなく、解体される「言葉」であり「世界」がです。
本書の最後に添付されたマグリットから2通の手紙が無かったら、僕も含めて多くの人々が、世界に帰ってこれなかったかもしれません。
しかし、それはフーコーの望むところではありません。

彼はこの世界を捨てることを望むのではなく、この世界をゆさぶり続けることを望んでいるからです。

死の貝/小林照幸 文藝春秋

「日本住血吸虫症」
名前は聞いたことがありましたが、つい最近まで現存していて、しかもこの様に恐ろしい寄生虫病だとは、露ほども知りませんでした。
風土病として、人間と寄生虫は長年共生してきました。しかし、人間側からその死を回避しようと考え始めた時、両者の闘いの幕が上がったのです。本書は、その闘争記です。

それにしても、医は仁術だと心得ている医者は本当に偉いもんです。経口感染だとする一般常識に疑問を抱いた松浦有志太郎は、感染病であり死病だと知りつつ、自らの身体で反論を試みてゆきます。
患者が頻発する片山付近の水田に、農家と同じように裸足で入り、感染を誘い始めます。無事(!!)感染すると、感染源が存在することを確認した水田で彼がした実験は、自分の右足を蚊帳で覆い、左足は木綿で包み、又も水田に足を浸すのです。すると赤みを帯びたかぶれは、目の大きな蚊帳で覆われた右足でだけ観られたため、ヒルや化学物質反応による結果を否定してみせるのです。
実験材料として、我が身を考えているとしか思えません。死病ですよ。今で言うところのエイズにわざわざ感染させますか、普通「ナニ考えてんのや!」というのが妥当な反応ですよ。

本書のもう1つの眼目は、実験の条件変化が結果の相違を生んでいくという観察常識を、実例をもって教えてくれることです。
寄生虫をめぐる様々な実験観察が、きまって正しい方向に向かっているとは限りませんでした。複雑な関係性で成り立つ自然界を単純化する実験は、ほとんど視界の効かない霧の中でピンボケの拡大写真を見て、動物の足裏の肉球を識別する様なもんです。人類は、それこそ死を賭して少しずつ積み上げてきたんです。

条件が変わると言えば、戦後日本の予防衛生がGHQに変わると、アメリカの研究者は、廃車となった機関車の内部を研究所と病院に変えて、全国の鉄道を使って移動し(この合理性は、成程と膝を叩いてしまいます)治療し始めました。しかも治療費も取らずにです。すこし前までは鬼畜米英と憎んでいた国民も、病を治すこの列車(アメリカ)を受け入れてゆくのです。
実はこのことは、宗教が起こる基本要素と通じるところがあります。初期宗教期には、民衆の病や、死生との関係が必要なのです。かつて教組は、必ず病を治してきました。これはブッダが四苦として取り上げた、その一つを解放することにつながります。キリストだって、歩けない人を歩けるようにしたし、目も見える様にしたじゃないですか。大黒様だってイナバの白兎を治してあげたでしょう。GHQも「病院列車」で、傷ついた日本人を治療し始めたんですよ。
おかげで日本中、アメリカ教に改宗しました。

この寄生虫病の恐ろしいところは、全身を流れて肝臓や門脈、又は脳に入って栄養を吸い取ってしまうことです。よって全身の発育が悪くなります。幼い時からの感染では、その地区の人間の平均体躯が随分と低く、徴兵検査においては、ほとんどが不合格となるのです。
久留米の吸虫症の多発地には、お宮があって、宝満宮様が戦争にいかないよう守って下さっている、という信仰まで生まれました。その宝満様が寄生虫であることが分かった時の地元の驚きは、如何ばかりのものだったででしょう。

この様な人間の所業を見ていると、やっぱり人間ってすごいなと思わざるを得ません。解明しようとする人間や、それに取り組む人間の想像力、そして共生するが故に、神として同じ世界に生きようとする人々、なにかそこには豊かさを感じてしまいます。
中間宿主であるミヤイリガイをほぼ鎮圧したと思ったその時、たった一回の集中豪雨と水害でミヤイリガイの大繁殖が起こり、元のモクアミにしてしまう自然もやっぱり凄いよな。

今月、友人がこの調査のために中国に行きます。今も「日本住血吸虫症」との戦いは、継続中なんです。

感想文に対する友人からの返事が届き、返信してみました。

《Aさんより》
徳サンと較べると、私はずい分と功利的な本の読み方をしているように思います。楽しんでいるというより、ルサンチンマンに支えられてそれをはらすような・・・まあそれだけではないのでしょうが。(読む本の幅の狭さにそれが出てるようにも思えます。)

最近読んだ本のタイトルだけあげておきます。

・声の祝祭日本近代詩と戦争/坪井秀人
・言葉と意味を考える1隠喩とイメージ/赤羽研三
・詩的レトリック入門/北川透
(山本陽子の詩にはまた泣いてしまいました。)

只今読みかけの本
・読むということテクストと読書の理論から/和田敦彦
・言葉と意味を考える2詩とレトリック/赤羽研三

自分が〈物語〉と縁がうすい人間であるらしいことを、生かせる方法をみつけんといかんなあ。
差異線を〈引く〉ことが、ナニかをみえるようにするし、また死角を同時につくる例として。
昭和47か48年かに東京のアパートの一室で、食べられることなくしまったインスタントラーメンを散乱させたまま、餓死した美容師見習い照屋幸子さん。餓死自殺と私が思い込んでいる昭和17年の尾形亀之助。シモーヌ・ヴェーユ?個別の事情を捨象して、私はたいへんこのましい死に方だと思っている。
虚無感とか諦念とかでなく、非意味・非価値の一瞬の顕在化。私も、餓死で死ねたらいいなと思っている。ダレもナニも抗議はしないで、逝けるような餓死がいい。

《徳さん》
早速の返信ありがとうございます。
どうもこのごろ、Aさんが読んでいる本の類が、読めなくなってしまっています。その原因の第一は、自分の中での言葉に対する疑念が非常に大きくなってしまっていて、言葉や単語に向き合うことが出来なくなっているのです。
時々、昔読んだ詩などを読み返す時があるのですが、現在としての読みが全然出来なくて、その当時の自分であったり、そうそうこのフレーズだとか、この単語にシビレたよな、なんて、ノスタルジーとしての詩読みになってしまって、しまいにはイヤになってしまいます。もう自分の中では、詩を豊かにふくらます感性や、力量が無くなったのではないかと焦ってもみますが、その意味では仕方がありませんね。
ただ、この頃少し考えるのは、詩として成り立たせる言葉の地盤が、もはや無いのではないか、ということなんです。かつての「ポエム」という言葉の機能が発動する場は、無くなったのでは?共有できる言語の隠喩はあるのか。世界のタネ明かしとして言語が姿を現わした時、言葉の骨格が解体し、言語の終焉が訪れているのではないか、などとぼんやりと考えてもいます。
だからか、ただ無責任に言語のタレ流しができて、このホームページが書けるような気もします。

何かAさんの思うところあれば、教えて下さい。

後半の部分、よく分かります。ただ自分の場合、具体的な死の選択を想像しても、どうしても理念の影が拭えず、そこで立ち止まってしまいます。
以前、子どものビデオを何本か作った時、自分の中で死の具体化が起きて、愕然とした事がありました。自分の死であっても、他者の死であっても、それはビデオの有限な本数であるのだな。指折り出来る、10本、148本、2964本・・・[n本]という事なんだなと感じてしまいました。
病死だとか、事故死だとか、自死だとか、なにかその方法は、死にとっては2次的な気がします。それに「死としての意味」が生まれるのは、個として考えた場合で「私の〜死」とか「〇〇さんの〜死」とかの時だけです。「意味としての死」があるとすれば、死の形態の理念化の時だけではないでしょうか。もちろん、今もブツブツと愚にもつかないことを考えているのも、単に生の理念化をしているにすぎないのですけど。
柳田邦男の「犠牲サクリファイスわが息子・脳死の11日」を読んだ時に、僕の中で大きく死のイメージの変換が起きました。それまでは、俺の死は俺のみのものだから、そこは出来るだけ潔く、それこそ非意味−非価値でありたいもんだと考えていました。
恥ずかしながらこの本を読んで初めて考えたことは、俺の死は、他者の中での「俺の死の物語」でもあるんだということ、俺が潔く死ぬ為には、家族や他者のなかで、俺の死を潔くしてもらわなければならない。
そうじゃなく失敗すれば「他者の生の物語に俺の死が、不可逆的に影を落としてしまう」ということです。これは俺も望まないが、他者もたまったもんじゃありません。いい迷惑ですよ。我が敵、人道主義者の言葉を借りれば、「生の共有化」があると同義なのかもしれません。

我慢することの苦手な僕は餓死は無理だと思いますが、その後は鳥葬にでもしてもらえればと思っています。